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日本初(?)有罪率99.9%の刑事裁判で〝二度も〟無罪判決を勝ち取った男のブログ!

過去、二度も刑事裁判の被告人として法廷に立たされるも、自力で反証、反駁をし二度も無罪判決を勝ち取る!そんな私が、あらゆる事を綴る!

48年目の自由…。

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 おはようございます

 関東では、桜が満開になって来ましたね

 昨年の今頃は、小菅ヒルズに居て、桜なんて一切観れませんでしたからね…

 それを思えば、今年は自由に桜を観れるので、これ程嬉しい事はありません


 さて、今日は先週ビッグニュースが入って来たので、当初の予定を変更してお送りします

 そのビックニュースとは、既に皆さんもご存知の袴田事件の袴田巌さんが、48年振りに釈放されたニュースです

 先週は、この報道がかなり頻繁に流れていたので、恐らく皆さん知っていると思います。

 今日は、このニュースに対する、ボクの見解及び感想をお話ししますね


 では、そもそも袴田事件とは何なのかを軽く振り返ります

 
 〈袴田事件〉

 袴田事件(はかまだじけん)とは、1966年に静岡県清水市(現静岡市清水区)で発生した強盗殺人放火事件、およびその裁判で死刑が確定していた袴田 巖(はかまだ いわお、1936年3月10日)が判決の冤罪を訴え、2014年3月27日に死刑及び拘置の執行停止並びに裁判の再審が決定(即時抗告が可能な期間は未確定)された事件。日本弁護士連合会が支援する再審事件である。

 詳しくは、下記のリンクをご覧下さい

 『袴田巌さんを救う会』


 と、言う事件で、死刑判決が確定していた袴田さんが、再審請求の結果48年振りに釈放されたのです


 ただ、釈放されましたが、再審で無罪になって釈放された訳ではありません
 
 あくまでも、勾留と死刑の執行が停止された為に釈放されたのです

 ですから、釈放されて自由になっても、まだ身分は〝死刑囚〟のままなのです


 では、こんな事って良くあるのかと言えば、全くありません

 今回の措置は、日本の刑事司法上初めての事だそうです

 すなわち、異例中の異例中の異例ですね…

 まあ、とにかく〝スゴ過ぎる〟としか言いようがありません

 〝元〟被告人のボクとしては、今回の袴田さんの釈放は、ホントにホントにホントに良かったと心底思います…

 なんせ、ボクと同じ小菅ヒルズに居たので、一時期は遭遇はしませんでしたが、同じ〝住人〟でしたからね。(笑)


 では、逆転無罪のボクの見解として、今回の結果の原因は何なのかと言うと、


 〝運が良かった〟


 って、事です


 恐らく、皆さん拍子抜けしたかと思いますが、ホントにこの一言に尽きるのです


 何故、この一言に尽きるのかを説明しますね

 まず、事件が発生したのは今から48年前の1966年で、袴田さんは一貫して無実を主張していましたが、一審で死刑判決が下されて、高裁、最高裁もこれを支持して死刑が確定しました。

 
 因みに、この時の一審判決を担当した三人の内の一人の裁判官だった〝熊本典道〟が、無罪の心証を確信しながらも、死刑判決の判決文を書かなくてはならなかった苦悩が有名です

 その苦悩とは…。

 1968年、合議制の袴田事件第1審(静岡地方裁判所)にて無罪の心証を形成し、1968年6月中旬には無罪判決文を書いていたが、裁判長の石見勝四、右陪席の高井吉夫を説得することに失敗。
 有罪の主張を譲ろうとしない高井に向かって「あんた、それでも裁判官か!」と怒鳴りつけたという。
 死刑判決文を書くことを拒否し、高井に「あんたが書けよ!」と用紙を投げつけたが、最終的には1968年8月、左陪席の職務として泣く泣く死刑判決文を書き上げる。
 この判決には、他にない厳しい口調で検察の捜査・立証を批判している部分があり、「合議体の分裂」、つまり、「合議で被告人の有罪に異を唱えた裁判官がいた」可能性が以前から指摘されていた。
 当時はあくまで推測にすぎなかったが、熊本の告白により、それが事実であることが分かった。


 「熊本が書いた判決文の一部」

 被告人が自白するまでの取調べは、―外部と遮断された密室での取調べ自体の持つ雰囲気の特殊性をもあわせて考慮すると―被告人の自由な意思決定に対して強制的・威圧的な影響を与える性質のものであるといわざるをえない。

 すでに述べたように、本件の捜査に当って、捜査官は、被告人を逮捕して以来、専ら被告人から自白を得ようと、極めて長時間に亘り被告人を取調べ、自白の獲得に汲々として、物的証拠に関する捜査を怠ったため、結局は、「犯行時着用していた衣類」という犯罪に関する重要な部分について、被告人から虚偽の自白を得、これを基にした公訴の提起がなされ、その後、公判の途中、犯罪後一年余も経て、「犯行時着用していた衣類」が、捜査当時発布されていた捜索令状に記載されていた「捜索場所」から、しかも、捜査官の捜査活動とは全く無関係に発見されるという事態を招来したのであった。

 このような本件捜査のあり方は、「実体真実の発見」という見地からはむろん、「適正手続の保障」という見地からも、厳しく批判され、反省されなければならない。本件のごとき事態が二度とくり返されないことを希念する余り敢えてここに付言する。


 と、言う様に、一審の時点でこれはおかしいと思っていた裁判官が居たのです


 こんな、素晴らしい裁判官に恵まれながらも、死刑判決は確定してしまいました…。

 そこから、再審への長い道のりが始まります

 因みに、再審とは何なのかと言うと、確定した判決について、一定の要件を満たす重大な理由がある場合に、再審理を行なうことです

 ですが、その扉は非常に重く、極めて極めて狭いのです

 そりゃそうです。

 だって、確定した判決をやり直すんですから、そう簡単に再審が認められていたら、これまでの裁判を否定する事になりますから、刑事訴訟法上再審と言う条文があっても、それが認められる事は殆どありません

 これが、正にボクの考えた裁判格言である、〝法律上と事実上の乖離〟です


 で、これまで袴田さんは二度も再審請求をして来ました

 ってことは、一度目の再審は却下されているんですよね

 そして、第二次再審請求で、再審開始が認められたのですが、この再審請求審を担当した裁判官に恵まれたからこそ、今回の結果に繋がったのです

 詰まり、今回の再審開始を決定した裁判長は、明らかに無罪の心証を持っていると言う事です
 
 だって、第二次と言う事は、第一次再審請求審を担当した裁判官は請求を却下したんですから、その裁判官は無罪の心証を持たなかった訳ですから、今回の再審請求審を担当した裁判官がホントに素晴らしい人だったのです

 
 ボクもそうでしたが、控訴審を担当した小川正持裁判長(当時)に当たらなかったら、まず今こうしてブログを書いている事は出来なかったでしょう…

 因みに、小川裁判長は、あの有名な「東電OL殺人事件」の再審無罪を出した裁判長です
 
 と、言うのは、我々は裁判官を選べないのです

 「あの裁判官に担当して欲しい」とか、そんなワガママは一切聞いてもらえません

 全て、裁判所の任意で自分が審理される裁判官が選ばれるのです

 詰まり、完璧な〝運〟以外の何物でもないのです

 
 しかし、その運を引き寄せるのは自分自身だとボクは思っています

 ボクも、何とか控訴審の裁判官に事件のおかしさに気付いて欲しいと、一生懸命控訴趣意書を自分で書き上げて、証拠調べ請求もしてと、やれることは全てやりました

 袴田さんにしても、支援者たちが必死になって、裁判のやり直しを求めてあらゆることをやりました

 簡単に一言で書いていますが、そんな簡単なものではありません…

 これらに共通しているのは、正に〝執念〟です

 この執念が、裁判官の心を動かしたのです

 だからこそ、再審開始と同時に、死刑と勾留の執行停止と言う異例の結果へと繋がったのです


 とは言え、ボクと同じ〝釈放〟でも、ボクなんかとは次元が違いすぎます…

 ボクは、一年七ヶ月でしたが、袴田さんは48年ですよ

 48年って言ったら、ボクが生まれる前から勾留されていて、それだけでは足りず、そこから更に11年も身柄を拘束されていたんですから、ボクが一年七ヶ月でギャーギャー言っているなんて、ふざけんなと言われそうです…


 しかも、袴田さんは〝死刑〟と言う判決が確定してますから、刑が確定するかどうかを争っていたボクとは違います

 
 改めて、今回の袴田さんの再審開始はホントに良かったと思います

 比較するのがおこがましいですが、ボクも袴田さんも、ホント〝運が良かった〟のです

 ただ、その運を引き寄せたのは、〝絶対に諦めない執念〟なのは間違いないでしょう

 ホント、何事も諦めたらそこでゲームオーバーですからね…


 今後、袴田さんの再審が開始され、無罪になると思いますが、一日も早く〝本当の自由〟を手に入れて欲しいと祈念しています


 さて、明日もちょっと最近の話題に触れたいと思います